2009/04/12

イースター

 イースターのミサに参りました。私にとってはあまりなじみのない、キリスト復活の日です。クリスチャンの方には大いにおめでたい日。クリスマスと並ぶお祝いです。また、この復活がキリスト教信仰の一つの軸になっていますから、とても大事な日です。朝8時のミサというのに、100名ぐらいは見えていたでしょう。観光バスで外国人旅行者の集団もきていました。

 とても印象的だったのは、ある聖歌の一説です。趣旨は「天国の門が開かれ、罰の連鎖が解かれる」。復活祭の意味をいっているのでしょうか。今もパレスチナの地は紛争が絶えません。年末年始にガザ地区で大きな犠牲をはらったのは記憶に新しいところ。もちろん当時から「ユダヤ対イスラム」という対立があったわけではないものの、厳しい戒律はときに摩擦を生じます。そのような環境で、互いに相手を責める(攻める)罰の連鎖を解くことに、イエス・キリストの誕生と復活の意味があったのか・・・。正しいかどうかはご指摘いただくとして、私は勝手に納得したのでした。

 さて、絶えぬ紛争は「ネガティブなカレンシーの交換」として説明できます。「やられたから、やり返す」すなわち「罰の連鎖」です。ほしくもないものをもらうと、どうしてもやり返したくなるもの。上司から批判ばかりされていれば、あるいは無視され続ければ、部下は力を発揮しない、という「ネガティブ・カレンシー」で返します。プロジェクトリーダーが、関係者に情報開示しなければ、関係者もこのリーダーと積極的に関わらない、という形で「ネガティブ・カレンシー」を返すでしょう。まあ「罰の連鎖」とは大げさに聞こえるものの現実はそうです。また当事者たちが気づかぬままに、この連鎖は進行してしまう。昨日もあるマネジャーが、部下にやったことが、自分に返ってきていたとは気づかなかった、もっと意識したい、といっていました。知らない間に進むのが「カレンシーの交換」です。なにも紛争地域でなくても、職場でも家庭でも起こっているものです(職場や家庭が紛争地域というところも珍しくないですけど)。

 そのような連鎖を「愛」でたつのがキリスト教の本質なんだろうな。あなたは愛されている。だから隣人を愛しなさい。それはリスクを伴う。だからあなたに勇気をあたえよう。信仰がなくても、この取り組みから学ぶところ大でしょう。

 クリスチャンのみなさん、復活祭おめでとうございます。(勝手な思いつきで書いてしまったので、不愉快であればすみません。)

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