2009/04/16

この季節、思い出すこと

 新入社員の季節です。「もう配属されましたよ」と卒業した学生からのメール。まだまだ研修が続く、という方もいるでしょう。みんな元気でよいスタートを切ってほしいものです。

 最近、ある方のことを思い出しました。私がアメリカ系企業で人事教育を担当していたときのこと。郊外の研修施設で3日ぐらいの集合研修を実施しました。この研修はすべての事業部の新入社員が集まるのですが、毎年ある事業部のトップが、ゲストスピーカーで呼ばれていました。その方のお話は、人事部門だけでなく若い新入社員にも人気がありました。

 いろいろな話をしてくれました。ハワイにバカンスに行ってもケータイは鳴る、とか「多忙で休めない話」やら、ご自身の事業への思いなど。なかでも印象的なのは、初任給が入ったら両親にプレゼントせよ、という話です。これだけ聞くと、なーんだ、と思うのですが、彼の話は何か心を打つものがありました。おそらくその席にいた若者たちのすべてがプレゼントしたでしょう。

 この親へのプレゼントには、どんな意味があるのか。私はこう考えました。デパートにプレゼントを買いに行くと、何を買おうかと思う。次いで、お母さんは、お父さんは、何を喜んでくれるだろう、と考える。でもすぐには思いつかない。どうしたって、両親との関係を考える。うるさい親だけど、お世話になった。ここまで育ててくれて、おかげで社会人になれた、と。きっといろいろな犠牲を払ってくれたんだと。こうして受けてきた愛情や恩を、社会に返していこう。必死でがんばって、恩を返すんだ、と。

 私、この恩返しのエネルギーは、モチベーション以上の力を持つのではないか、とかねがね思っています。お気づきのように、これはレシプロシティのなせるわざ。自分が相手から受け取っていると感じると、返したくなる。たくさん受け取ってきたと気づいたら、がんばって返さなければならなくなる。エネルギーを注げばおもしろくなる。お客さんの喜ぶ顔が、人生になる。事業部長が言いたかったことは、こんなところにあるのではないでしょうか。

 小林さんという事業部長のお話を最後に聞いたのは、もう8年も前のことです。でもずっと心に刻まれている。今度、若者たちに話そうと思っています。みんなどんな顔をしてきくだろうか。

2009/04/14

「天地人」の印象

 大河ドラマをみていると、もう第一四半期がとっくに終わってたんだ、とあらためて感じます。「天地人」、みている方はどう感じているでしょうか。

 私はカレンシー交換の事例を学べる、いいドラマだと思います。たとえば先週は上杉景勝が武田勝頼に金を差し出すことで、長年の宿敵と同盟を結び、窮地を脱しました。今週は上杉陰景虎の子息が殺され、それを景勝側の仕業と思い込んだ景虎が、景勝勢に一戦を挑みます。いずれもレシプロシティの力を強く感じます。本人は攻めたくない、でも「返そう」とする集団の力は、人の意志を凌駕することがある。だから、本物の「義」が必要だ、というお話と理解しています。この義を「愛」と読み直し説くのが、主人公直江兼継です。

 こんないいお話なのに、何か物足りないのは、兼継が最初から立派な若者だということでしょう。どこから、このようなプラスの連鎖が始まったのか・・・・。幼少の頃、行き場のない兼継を景勝が迎えにきてくれたことか?母の愛か。カレンシーの交換のスタートは、小さなやりとりかもしれませんが、その積み重ねで大きなエネルギーとなるものです。ところが、これでは生まれたときからすばらしい人、のようになってますね。そこが残念かな。

 いずれにしても、「義」「愛」を描く意欲作。もちろん毎回の放送分は、各回が「カレンシーの交換」の好事例集。ケーススタディにぴったりです。主人公役の妻夫木聡もこれから半年でどれぐらい成長するか、楽しみにしています。

2009/04/12

イースター

 イースターのミサに参りました。私にとってはあまりなじみのない、キリスト復活の日です。クリスチャンの方には大いにおめでたい日。クリスマスと並ぶお祝いです。また、この復活がキリスト教信仰の一つの軸になっていますから、とても大事な日です。朝8時のミサというのに、100名ぐらいは見えていたでしょう。観光バスで外国人旅行者の集団もきていました。

 とても印象的だったのは、ある聖歌の一説です。趣旨は「天国の門が開かれ、罰の連鎖が解かれる」。復活祭の意味をいっているのでしょうか。今もパレスチナの地は紛争が絶えません。年末年始にガザ地区で大きな犠牲をはらったのは記憶に新しいところ。もちろん当時から「ユダヤ対イスラム」という対立があったわけではないものの、厳しい戒律はときに摩擦を生じます。そのような環境で、互いに相手を責める(攻める)罰の連鎖を解くことに、イエス・キリストの誕生と復活の意味があったのか・・・。正しいかどうかはご指摘いただくとして、私は勝手に納得したのでした。

 さて、絶えぬ紛争は「ネガティブなカレンシーの交換」として説明できます。「やられたから、やり返す」すなわち「罰の連鎖」です。ほしくもないものをもらうと、どうしてもやり返したくなるもの。上司から批判ばかりされていれば、あるいは無視され続ければ、部下は力を発揮しない、という「ネガティブ・カレンシー」で返します。プロジェクトリーダーが、関係者に情報開示しなければ、関係者もこのリーダーと積極的に関わらない、という形で「ネガティブ・カレンシー」を返すでしょう。まあ「罰の連鎖」とは大げさに聞こえるものの現実はそうです。また当事者たちが気づかぬままに、この連鎖は進行してしまう。昨日もあるマネジャーが、部下にやったことが、自分に返ってきていたとは気づかなかった、もっと意識したい、といっていました。知らない間に進むのが「カレンシーの交換」です。なにも紛争地域でなくても、職場でも家庭でも起こっているものです(職場や家庭が紛争地域というところも珍しくないですけど)。

 そのような連鎖を「愛」でたつのがキリスト教の本質なんだろうな。あなたは愛されている。だから隣人を愛しなさい。それはリスクを伴う。だからあなたに勇気をあたえよう。信仰がなくても、この取り組みから学ぶところ大でしょう。

 クリスチャンのみなさん、復活祭おめでとうございます。(勝手な思いつきで書いてしまったので、不愉快であればすみません。)