2010/02/11

SNS

 FacebookとLinkedInとTwitterを、いっぺんに始めました。
 
 私のリソースを、どうみなさんに使っていただけるかのチャレンジです。それぞれが連携しているところもあり、つかえるかな?ネットワークがどう拡がるのかも、予想できないだけに楽しみです。

2010/02/09

無財の七施

 仏教では、財産や地位がなくても人の役に立てる、布施ができると考えます。仏教について教えをいただいている山田忍良先生から、無財の七施について教わりました。先生とお話ししているとたびたびこの話が出ます。

 七施とは、眼施、和顔施、愛語施、身施、心施、牀座施、房舎施です。
眼施とは、温かいまなざしを向けること。和顔施とは、笑顔を施すこと。愛語施とは、温かい言葉をかけること。身施は身体で奉仕する。心施は心配り、牀座施は席を譲ることで、房舎施は雨露しのげる場所を提供すること。

 いずれも、「影響力の法則」ではカレンシーと呼ばれているものです。影響力では返報を考えている。施せば協力が得られる。しかし、現実には何も得られないことが少なくない。がっかりしますよね。ところが、仏教に触れると、カレンシーが帰ってこなくても、その分自分の成長につながるのだ、と考えられます。

 日々の積み重ねが、人生であり、キャリアであると、改めて感じたしだいです。合掌

2010/02/08

ああ、統合

 キリンとサントリー、統合できませんでした。昨年お目にかかったM&Aの専門家が、「ムリ」と言っていたのを思い出しました。残念だな。サントリーの創業家が問題になることはわかっていたはずなのに。これはちょうどピクサーのオーナー、スティーブ・ジョブズが、ピクサーをディズニーに売ったら、筆頭株主になった、というのに似ています。キリンが鳥井家、佐治家の所有を嫌ったのでしょうか・・・

 いずれにしても、厳しい影響力が問われる場面。それぞれの立場から考えたら、上場とはいえ持ち合いが残る日本企業では、難しかったのか。両社の代表からなるプロジェクト・マネジメント・オフィスがあったはず。苦労が忍ばれます。

ナノテクノロジー

 NHKでジェームズ・ジムゼウスキー教授による「未来への提言」を見ました。教授はナノテクノロジーの大家。原子レベルで見ることができる電子顕微鏡の発明者です。ナノテクノロジー自体は、世界に大きな変革を起こすことを期待されている新しい技術。原子スイッチなど興味深いものも多々ありました。

 禅にも通じているジムゼウスキーの話しで印象的だったのは、ナノテクノロジーは全体の中で見なければならない、ということ。一部だけを見ていけば全体に対して無責任になるという。原子レベルの技術を追求する博士ならではの世界観と感じました。これは会社にもあてはまりますね。一部を仕事の部分としても、個人としてもぴったりです。耳が痛いですね。

 最後のメッセージは、子供たちの将来を見据えよ、といったものでした。そう、仕事も個人も未来につながっていなければ!

 私たちは歴史の中にいかされていることを忘れてはいけないな、と思ったしだいです。

2010/02/07

朝青龍の引退

 朝青龍の引退は残念ですが、技を持ったプロがその力を土俵の外で使ってしまったのですから、これはやむを得ないでしょう。皆が言う「勝つだけではだめだ」というのもよくわかります。横綱は受けて立たなければならない。横綱相撲ですね。だれもそれを彼に教えられなかったのかと考えるとは、本当に惜しい。たぶん、最後まで横綱相撲の意味がわからなかったのでしょう。

 仕事についての前提、キャリアの成功についての前提は、人によってずいぶん異なります。
 結果を出せばいい、と考えている人もいれば、仕事を通じて人間的に成長することが目的だと考える人もいる。マックス・ウェーバーによれば、プロテスタントの地域が資本主義の経済活動でリードしたのは、お金を稼いで豊かに暮らせるのは、神に認められている証、との認識されていたからです。まあ、今となってはいささか単純な気もしますが、アメリカにおける成功話は、そうして蓄えた財産を人々に施す話しが多いですよね。カーネギーしかり、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットしかり。ビジネスでいい結果を出せば認められるのは現実だし、結果そのものが目的となるのは当然と思われますが、すべての人がそう考えるわけでないのは興味深いところです。

 対して日本では、仕事を通じて人間性を磨く、という話しになる。日本航空の会長になった稲盛和夫氏が最近では代表格です。ホンダの元社長、久米是志氏はものつくりに仏道を見いだしています。思いを尽くせば「無分別」の状態となり、初めて良いものができる。自分と対象物が一体になるまで魂を注ぎ込むと、いいものができ、結果儲かるときもあると。自分を捨てよ、といっているわけです。うーむ。そのようなイデオロギーは江戸時代からあった。たとえば、三河の城持ちだった鈴木正三のように、ビジネスが仏性と結びつく話しは少なくないですね。

 このようなアプローチが日本独特のものかどうか定かではありませんが、「相撲道」があれば、やはり相撲における成長が人格の成熟に結びつくのは必然と感じます。しかし、これを理解するのは必ずしも容易ではない。朝青龍の事件にも、難しさを感じました。若者の意識も確実に変わっています。それがいいのかどうかは・・・・。私は「仕事を通じた人間の成熟」の方に魅力を感じています。