2011/07/08

ケネディ家のひとびと

 出張先で海外ドラマ「ケネディ家の人々」に目が釘付けになりました。ちょうどキューバ危機に直面し、ホワイトハウスは緊張に包まれています。国務省、軍部、大統領側近がそれぞれの立場から、大統領に決断を迫ります。一部のメンバーは先制攻撃せよと言う。ソビエト共産党書記長は必ずミサイルを撃ち込んでくる、「フルシチョフはそういう(暴挙に打って出る)男です」。対してケネディはフルシチョフの背後の強硬派を意識します。書記長は、クレムリン強硬派を抑えられるだろうかと。

 このような考え方は、影響力の法則に通じるものです。相手の性格を考えるのではなく、相手が動かなければならないような状況を考慮する。そのひとつひとつに対処できれば、こちらの意に沿う結果を得られるというものです。

 このケース、国家のトップとはいえ、関係者の動きを抑えられなければ、自分の意思に反する決断をしなければならないこともある。フルシチョフ自身は好戦家でないことを知っているケネディは、相手が不本意な決断をしないですむ方法を探っていきます。そして、フルシチョフが強硬派を説得できるような情報を提示していく。たとえば、演説ではアメリカ国民に合衆国は腰砕けではないといいながら、こちらから先制攻撃することはない、とも示唆する。そうして互いに相手が関係者に対して使えるカレンシーを渡し、交渉を成功に導いていました。

 相手の性格よりその背後を見る、背後を動かせるカレンシーを相手に渡す。影響力が高い人がとる戦術、さすがは国のトップだと感心しました。

2011/07/06

復興担当大臣が渡した負のカレンシー

 今日は、松本龍復興担当大臣の辞任が話題になりました。ご本人のことはよく存じませんが、親の遺産(地盤)とはいえ20年も国政に携わってきたベテラン、昨年の名古屋議定書を交渉の末にまとめた功労者、それなりに社会的な責任がおありな方が、またしてもこんなことをしてしまいました。残念としかいいようがありません。

 私はこの人が「影響力の法則は、カレンシーの交換にある」ことを知っていたらなあ、こんな馬鹿なことにはならないのになあ、と思います。すなわち、相手を動かし味方につけたければ、相手が価値ある何かを差し出さなければならない。逆に相手がいやがることをやれば、自分の進路は妨げられる、ということです。影響力の法則に則らなくても果たせる役割はあります。自分ひとりになっても完遂できるような業務、つまり比較的単純な仕事です。しかし、今回の復興支援のようなすべての国民が当事者としてかかわらなければ果たせないようなプロジェクトであれば、そうはいきません。たとえば、消費税率を大幅に引き上げるのを、国民の理解なしに進められるはずがありません。多くの人たちに犠牲、協力を頼もうと思ったら、それはひたすら正のカレンシーを渡すしかありません。

 カレンシーといっても、お金や道路の建築ではないはず。負担が増えるが、子孫代々繁栄する世の中や、子供たちがワクワクするような夢を描くなど。また国民一人ひとりが復興に協力している、という責任感を感じることもカレンシーになります。誰でも自分が人や社会の役に立ちたいのですから。

 しかし実際の交換は、「見下した態度」と「辞任圧力」でしたね。本当にがっかりです。彼らはリーダーシップが人の上手に立つことだと誤解しているんじゃないでしょうか。彼らとは、一部の国政にかかわる人たちのことです。あんな口ぶり、サングラス、すべてがとんでもない誤解です。ヒトラーがリーダーだったと思っているんでしょうか?鳩山政権以来そのために国民の支持を失っていることに気付かなければ、いつまでたってもやってしまうでしょう。そりゃ、官僚は簡単には動きません。長年、自民党にコミットしてきた人たちなんですから。官僚の立場に立ってみれば、長年カレンシーの交換をしてきた信頼できる政治家と、突然やってきたこちらの言うことが分かるのかどうか不安な政治家では、対応が違ってしまうのは当然でしょう。外資に買収された日本の伝統企業で従業員が幹部の言うことを行かないのと一緒です。だからといって、切れてしまっては、負のカレンシーの交換になって、政治家はリーダーシップを失うだけですよ!

 こう書きながら、我が身を振り返って反省することばかりです。ひとつひとつできることをやるしかないな、と自分にも言い聞かせています。

チャベス大統領の帰国と歌

 ベネズエラのチャベス大統領が帰国しました。キューバを訪問するなり入院。ガンの手術治療を受けていたのだそうです。帰国する大統領を歓迎する市民の様子が報道されていますが、その熱狂ぶりには驚かされます。
 このニュースで印象的だったのは2点。大統領がわざわざキューバに治療に行ったということ。キューバの医療技術は世界屈指といわれており、とくに医療による国際援助はキューバ外交の生命線とのこと。アメリカと対立するキューバ生き残りの戦術でもあります。この弱小国が、教育で成りたっていることは印象深いものです。
 もうひとつは、帰国した大統領が、空港で歌を歌ったという下り。へえ、と感心しました。動物番組など観ていると、しばしば雄が雌に性的アピールをするために、歌ったり踊ったりしています。歌や踊りは重要なコミュニケーションの手段なのです。人類も古くから歌でメッセージを伝えてきました。メッセージという意味のキリスト教のミサでは、必ず賛美歌が歌われます。今日、久しぶりにプロ野球の試合を観に行きました。試合前には国歌斉唱、試合中には熱狂的なファンがなにやらずっと歌っていました。歌はメッセージを伝えるだけでなく、人々の気持ちを高揚させます。そういえば、以前ロシアのエリツィン大統領は選挙戦で酔っぱらって歌ったり踊ったりしていましたっけ。ああ、プーチン首相も最近どこかで歌っていました。ロシアばかりかと思ったら、ある意味で当然ではありますが、中南米に位置するベネズエラでも歌うんですね。リーダーが!
 リーダーが歌うのが、メンバーにとってカレンシーになる国があるんじゃないでしょうか。日本はどうか。部長がカラオケでマイクを離さない、というのはイマイチですね。とはいえ、歌で人々を惹きつけられる部分はあるのではないかと思いますが、いかがでしょうか?
 今、菅首相が歌ったらどうか。それは絶対にやめたほうがいい。国民は今日の松本事件を含めて多大な負のカレンシーを受け取ってきたと思っていますから、何をやっても好かれないでしょう。あなたの上司には勧めますか?私はできるかどうかはともかく、何かを歌ったら何が伝わるのかを、考えてみる価値はあると思います。